2022年の年末、イベントで『抑うつ休職日記 どうにもならないままでも、どうにもならないままに』というZINEを出した。タイトルの通り、筆者は現在「抑うつ状態」という状態名がつき、休職中である。休職になって半年以上が経った。
「休職中である」ということを人に話をすると「普段何してるの?」と聞かれることは多いが、個人的には「ずっと寝てる」としか言いようが無い。「休職になる」ということが決まって、初めはぼんやりした。急に飛び込んできた「自由な時間」は「何でもし放題」かと思いきや、「時間ができたらやろう」と思っていた映画鑑賞も、読書も、ぜんぜんできていない。「時間ができたらやろう」は時間ができてもやらない事がわかった。本当に多くの時間を寝て過ごしている。そのことに落ち込む。だが、先生は「今はそうゆう時期だから」と仰る。そうこうするうちに半年が過ぎた。「今」はいつまで続くのか、未だ私自身もわからない。人と会う約束をして、誰かと会っている時が一番元気だ。嘘偽りなく楽しい時間を過ごせる。だか、家に帰り、一人になった時に急にまた落ち込んだりする。それを繰り返している。
なんだか一年もあっという間に過ぎてしまううえに、休職になるまでにあったあれこれを既に忘れかけているな、と思い、ふと文章に書き留め始めた。それをまとめたものが上記の『抑うつ休職日記』である。せっかくブログもあるのにほとんど更新していないので、ブログで公開するには抵抗のある章を省いて、一部ZINEからの転載をしようと思う。もしかすると、今、私が休職になる前と似たような状況にいる人もいらっしゃるかもしれない。参考になるとも思えないが、あくまで私の場合の記録として読んでいただけたらと思う。
はじめに
本記事には具体的な「身体の一部の違和感」についての描写や、鬱にまつわる描写があります。そのようなものが苦手と思われる方はご注意ください。また、あくまで個人の「抑うつ状態」のこと、個人の体験を残した日記であり、「抑うつ状態」の方の状態、症状は人それぞれに違う物だと考えています。何かの「参考」等にはならないものと考えていますので、その旨ご了承ください。
初期症状から休職に至るまで
2021年9月頃。ある日突然、口の中に血豆が3つできた。一つは右奥歯の歯茎、一つは舌の裏側、もう一つは左手の内頬。そんな体験をしたことがなかったので、当時は慌てた。取り急ぎ「口の中 血豆」で検索をする。原因は「外傷、ストレス、アレルギーが考えられる」とあった。寝て起きたらできていたので、外傷?はよくわからない。ストレスはまぁ、身に覚えはある。アレルギーはハウスダストアレルギーはあるがこのことは関係あるかわからないな、と思った。「触ったりせず自然治療で1週間ほどで治る」とあったので、特に医者に行くでもなく過ごした。喋りにくさ、物の食べにくさ等はあったものの、確かに1週間ほどで血豆は無くなった。というか、潰れた?というか。血豆が潰れた時、なんとも言えない嫌な味がじんわりと口内に広がった。
そこから数ヶ月後、また舌の裏と歯茎に血豆ができた。自分の体調の悪さと連動しているのか?などと思いつつ、また1週間ほど待った。また1ヶ月ほど経つと、歯茎の血豆が。この頃になると慌てもせず「まぁまた待てば治るか」くらいに思っていたのだが、ふと気がついたことがあった。血豆ができていた時には血豆にばかりに気を取られていたが、口内になんとも言えない違和感がずっと残っていた。
この違和感を表現するのが難しい。口の中がずっとサワサワしているような、口の中にずっと物が入っているような感覚のような、静かな痺れのような。どう表現しても、どれも違う気もする。最近は人に説明するときに「酸っぱいものを食べたときに口の中がキュッとなる、あの口の中の感覚が酸っぱいわけではないのにずっとある感じ」と説明すると、なんとなく想像してもらいやすい気がしている。要するに、口の中がずっといや〜〜〜な感じなのだ。
そんな状態が治らず、仕事に日常生活に追われながら過ごして半年が経った頃。会社の残業でコンビニで買ってきた五目おにぎりを口に含んだとき、味がしないことに気がついた。「これはコロナか?もしくは血豆の延長か?」と味のしないゴムみたいなおにぎりをとりあえず丸呑みして、仕事に戻った。が。いい加減この口の状態の治らなさにも恐怖を感じるようになってきた。体調が崩れるわけでもなく、味覚も戻り、コロナの疑いも晴れた頃、会社を休み自宅近くの総合病院の口腔外科に行った。
先生に状態を説明すると、なんとなく「めんどくさい」という表情をされたような気がした。結果から言うと、歯茎の上の血豆は歯自体の炎症が原因なので歯医者で治療する必要がある。が、問題は口内の違和感の方だ。先生は「なんか好きなことあります?」と言った。先生の口調にやや嫌な印象を抱きつつ「まぁ、たくさんあります」と答えた。実際、好きなことなんてあり過ぎて困るくらいある。「なんかそうゆうことやって、とりあえず悩まず過ごしたりしてみるのがいいと思うんですよね。」と、先生は続けた。なんとなく先生から『好きなことをやっていない人認定』を勝手にされていることに腹が立ち「いや、好きなことならそこそこ色々やっているんですけどね。」(実際そうだと思う)と言うと、先生は「そうですか」と言い「まぁ、その症状だともうウチではどうにもならないので、次どこかにかかるとしたら心療内科になると思うんですよ。でも、心療内科でもらう薬も色々あって…」と、薬に関して先生は色々と説明してくれたが、説明の詳細な記憶は既にない。依存の問題とか、そんなような話だった気がする。とにかく、心療内科に行く前に自分のやりたいことをやったり、長めに休んだりしたらいい、と言う話だった。先生の話にある程度は納得したり、でもその話をするときの態度に若干腹立たしさを感じつつ(端的に言えばマンスプレイニングな話し方)、とりあえずお礼を言って診察を終えた。大学病院は混んでおり、半日を病院で過ごした。なんとなく「来たかいはあったのか無かったのか、よくわからないな」と思いながら会計に行くと、そこそこの金額を支払うことになっていた。病院に通うにも、お金がかかる。この病院に通うのは無理そうだ、と思った。
とはいえ、なんとなく口腔外科の先生の説明にもある程度の納得を得て、とりあえずは「心療内科にはかからず様子を見るか」と考えていた。後日、有給をもらって病院に行ったこともあり、上司とのリモート面談が入れられた。さして隠すことでもないのでありまま話をすると、上司は「心療内科、行ってみたら?」とさらりと言った。当時の記憶はすでに少し曖昧なのだが、私は上司のこの一言に動揺し、「心療内科に行く、行かないは私が決めることなので」かなりの怒気を込めて言ってしまった。はじめは言葉が詰まり、最終的に怒りで震えていた記憶がある。「よくそんなに軽々しく、行ってみたら?なんて言えるな」と、私は怒って、面接が終わった後すぐ布団に潜った。しばらくして、私の状態が部長に届いたらしい。産業医面談も入れられ、その後私は2週間のお休みをもらえる事になった。
2週間のお休みの間、私は母と二人で旅行へ出かけた。美術館へ行ったり、街歩きをしたり、地元の居酒屋で美味しいおつまみと美味しい日本酒を楽しんだりした。仕事のことも、それ以外のことも、何も気にせず過ごした。旅行は私の趣味の一つである。ノンストレス。楽しいことしかしていない。しかし、やはり、好きなことをしていても口内の違和感は依然としてあった。
「やっぱり好きなことをしているだけではどうにもならないか。」とある意味で踏ん切りがつき、お休みの残りの日程で近所の心療内科へ行く事にした。先生と面談をして、症状を伝えると「確かにその症状は口腔外科ではなく心療内科かもしれませんね」とのこと。チェックマークシートのようなものを渡され、それに答えた。先生は私が解答したシートを見ながら「はぁ、そうですか…」と呟き「休職したほいが良いと思うので、診断書書きますね。もう今日書いていきますか?」と言った。
思わず「えっ」と声が漏れた。そんなにすぐ、そんな話になると思っていなかった。先生は「すぐに休んだ方がいい」と言う。とはいえ私も会社に何も相談できていないのでちょっと待ってほしい、と伝えると「これは医師の診断なので」と仰る。なるほど、そうゆうものなのか。いや、それにしても待ってほしい。「休職」なんてそれまで考えたことがなかった。自分とは無縁だと思っていた。とにかく一旦会社に相談してからににしたい、と伝え、その日の診療は終わった。私はその日から「抑うつ状態」という「病名」なのか「状態名」をもらうことになった。
2週間のお休みを終え、会社に戻り「いやぁ、元気そうな顔で戻ってきてくれてよかったよ〜」と言う上司に、心療内科での診断を伝える羽目になった。2週間の休みはリラックスしてして過ごさせていただいた。が、私の見た目は元気そうだったらしいが、医師の診断はまた別の話。諸々伝えると「(辛いという事を)早く言ってくれれば」と言われた。だが、私はこれまでの上司との対話の中で「今の仕事の仕方には限界がある」と散々伝えて来たつもりだった。しかし、それに対し「でもね」と言い返されてきていた。私の意見は無かった事にされて、病名がついたら「早く言ってくれれば」と言われる。この病気は、状態になったのは、私が全部、悪かったんだろうか。「自己責任」なんだろうか。
それから1週間ほどして、「azamiさんの身体が第一だから」ということで休職が確定した。私は「心療内科、行ってみたら?」と言った上司にはお礼を伝えた。あの時はひどく怒ってしまったが、あの一言がなければ心療内科に行かなかったかもしれない。そんなこんなで、私はあれよあれよと、あっという間に「抑うつ状態につき休職する人」なった。
つづく